「もう少し考えてみよう」「失敗を恐れずやってみろ」——授業やホームルームで、私はこの言葉を何度も生徒に投げかけてきました。けれど最近、ふとこう思うようになりました。試行錯誤しろと言う自分自身は、日々ちゃんと試行錯誤しているのだろうか、と。
AIエージェントが体現する「試行錯誤」
きっかけは、AnthropicのAIコーディングツール「Claude Code」について調べたことでした。このツールの自律性は「ループ・ツール・コンテキスト」という3つの要素の組み合わせで成り立っています。タスクが終わるまで処理を繰り返す「ループ」、ファイルやコマンドといった外の世界に触れる「ツール」、そして積み上がっていく「コンテキスト(記憶)」です。
具体的には、コードを書いたら実際に実行し、エラーが出れば自分でログを解析し、修正案を出してもう一度試す。「考える→実行する→確認する」というサイクルを、人の手を借りずに自律的に回し続けます。うまくいかなければ別の経路を探し、また試す。これはまさに、私が理科の実験で生徒に求めている態度そのものです。仮説を立て、やってみて、失敗したら別の仮説に切り替える——探究学習の基本形が、AIのアーキテクチャの中に素直に体現されているように見えました。
もちろん、生成AIの教育活用には懸念もあります。使用時に前頭前野の働きが低下するという研究や、AIに頼りきりになることで「自分の頭で考える」機会が失われるのではという指摘は、無視できません。だからこそ文部科学省も2024年12月に学校向けの利活用ガイドラインを改訂し、情報セキュリティや公平性への配慮、そして「人間の介在の必要性」を明記しています。AIに考えさせるのではなく、AIの試行錯誤の”型”から人間が何を学ぶか、という視点が大事なのだと思います。
「試行錯誤しろ」と言いながら試行錯誤していなかった自分
ここで、自分自身に矢印を向けてみました。
生徒には「新しいことに挑戦しろ」「試行錯誤して問題を解いてみろ」と言う。学級では「もう少し考えてみよう」と声をかける。けれど、その言葉を発している教員や保護者である私たち大人は、新しい技術に対してどれだけ挑戦しているでしょうか。正直に言うと、私自身、AIツールを「なんとなく怖いもの」「専門家が使うもの」として遠ざけ、実際に触って試すという最初の一歩を先延ばしにしていた時期がありました。
生徒に求めているのは、正解を知る前にまず手を動かし、うまくいかなければ別のやり方を試す姿勢です。それなのに、自分は使ったこともないツールについて「よくわからないから」という理由だけで判断を止めていた。これは明らかな矛盾です。生徒からすれば、「大人は新しいことに挑戦しろと言うくせに、自分は挑戦していない」という姿は、案外見透かされているのではないかとも思います。
この気づきは、特定の授業や特定の生徒とのやり取りから生まれたものというより、日々の指導言葉をふと振り返ったときに浮かび上がってきたものでした。だからこそ余計に、自分の言動の一貫性を問い直すきっかけになりました。
大人がまず試行錯誤してみせる
Claude Codeのような自律型AIエージェントから私たち大人が学べるのは、使い方のテクニックよりも「失敗を前提に、まず一歩動いてみる」という姿勢そのものかもしれません。ループを止めずに回し続けること、うまくいかなかったら別の経路を探すこと。これは新しい技術に向き合うときの大人自身の態度にも、そのまま当てはまります。
実践としてできることは、そう大げさなものでなくてよいと思います。たとえば授業やホームルームで、教員自身が新しいツールを試して戸惑った場面や、うまくいかなかった経験を生徒の前で正直に話してみる。「先生も昨日これを試してみたけど、最初はうまくいかなかったんだ」という一言があるだけで、生徒にとって「試行錯誤」は特別なことではなく、大人も含めた誰もがやっていることだと伝わります。
生徒に挑戦を促す言葉は、大人が自分自身にも同じ基準を課しているときにはじめて、説得力を持つのだと思います。逆に言えば、大人が挑戦する姿を見せること自体が、最も効果的な指導法になり得るのではないでしょうか。
おわりに
「試行錯誤しろ」と言う資格があるのは、自分自身も試行錯誤している大人だけです。Claude Codeというツールそのものを教育に導入するかどうかは、それぞれの現場の判断でよいと思います。けれど、そのツールが体現している「失敗を前提にまず動いてみる」という姿勢だけは、大人である私たちが先に取り戻す必要があるのかもしれません。
最近、あなたは何に挑戦しましたか。