正面からぶつかって失敗してから、私は「置く」ようになった
生徒にどこまで求めるか。教員をしていると、この線引きに毎年迷います。
やらせなければ身につきません。けれど押し切れば関係が壊れる。正解が一つに決まらないまま、その場で判断するしかない。私は長いあいだ、迷ったら「求める」側を選んできました。今は少し違います。
引くべきところで、引けなかった
以前、部活動の指導の一環として、長期休業中の課題の進み具合を確認していたことがあります。
部活も勉強も両立できなければ意味がない。そういう方針でした。決められた場でチェックし、終わっていない生徒はその日の活動に参加させず、勉強させる。事前に説明したうえでの運用で、生徒も保護者も納得していました。
ところが、最後の期限までに終わらない生徒がいました。
その生徒は課題に手をつけず、聞けば嘘をつく状態が続いていました。私も苛立っていたと思います。やり取りは口論に近くなり、最後には「終わったが家に忘れた」と言われました。終わっていないことは、こちらも分かっていました。
そこで私は、取りに帰って見せろと言いました。何時間かかっても待つ、と。そして実際に、その日は学校でずっと待ちました。
後日、保護者から連絡が来ました。限度があるでしょう、という内容です。
当時の私は納得していませんでした。この程度の努力ができないなら、社会に出てから困るのは本人だ。教育者として譲れない。本気でそう思っていました。
間違っていたのは、方針ではなく引けなかったこと
今も、あの方針自体が間違っていたとは思っていません。両立を求めること、期限を守らせること。ここは今でも必要だと考えています。
間違っていたのは、引けなかったことのほうです。
今になって思うのは、あの生徒にはそもそも実行する能力がなかったのだろう、ということです。怠けているように見えていたものの中身は、たぶん違いました。計画を立て、分量を配分し、期限から逆算する。この一連の作業ができない生徒は実際にいます。できない相手に「やれ」と言い続けても、出てくるのは嘘だけです。
必要だったのは、まずそれを認めることでした。できないという事実を認めたうえで、どこから手をつけるかを一緒に決める。私はそれをせず、正しさのほうを押し切ろうとしました。
後になって、あの関わり方でよかったのかと考えさせられる出来事がありました。詳しくは書けません。ただ、自分ではやり切ったつもりでいた指導が、その生徒の中には残っていなかった。それだけは確かでした。
正しさは、受け取れる状態にある相手にしか届きません。これを理解するのに、私はずいぶん時間がかかりました。
命令をやめて、相談の形にした
それからは、生徒への言い方を変えるようになりました。
たとえば、帰りのショートホームルームで席に座らない生徒がいます。以前なら「座れ」と言っていました。今は、あとで一人残してこう話しかけます。
「怒りたいわけじゃないんだ。ショートホームルームでは座ってほしいんだけど、どうしたらいいかなって相談したいんだ」
伝えている内容は同じです。座ってほしい。変えたのは形式だけです。命令ではなく相談にすると、生徒は自分の側の事情を話し始めます。眠い、腹が立っていることがある、立っているほうが落ち着く。理由が出てくれば、そこから交渉ができます。
命令の形にすると、相手は従うか反発するかの二択になります。二択にした時点で、こちらは相手の状態を知る機会を失っている。あの日の私が失っていたのは、まさにそれでした。
何も言わずに、置くだけにした
もう一段進めて、最近は「言わない」ことも試しています。
化学室に本を置くようになりました。自分がこれまで読んできた小説や、いわゆる自己啓発本もあります。読めとは言いません。読んだかどうかも確認しない。ただ置いてあるだけです。
勧めた本には、受け取る側にもラベルがつきます。先生に勧められて読んでいる、という状態になる。それが嫌で手に取らない生徒は必ずいます。置いてあるだけなら誰にも知られずに読めますし、つまらなければ黙って戻せます。
AIを使った工夫についても、同じ距離感を取っています。職場で紹介するときは、こうすると便利ですよ、と伝える程度です。使いたくない人もいますし、押し付けたところで定着しません。自分はこんなことをやっている、と示すだけで十分だと考えています。
これは指導を諦めたということではありません。直接ぶつかる以外の経路を増やした、というだけです。ぶつかる方法は今も持っています。ただ、それしか持っていなかった頃より、届く相手は増えました。
おわりに
生徒に求めることをやめる必要はないと思います。求めるべき場面はあります。
ただ、正しいことを言えば伝わるという前提は、一度外したほうがいい。相手は受け取れる状態にあるか。命令以外の形で渡せないか。そもそも、こちらが黙っていたほうが届くのではないか。手段が一つしかないと、押し切るか諦めるかしか選べなくなります。
あの日、私は待ち続ければ何かが変わると思っていました。変わりませんでした。変わったのは、そのあとの自分のやり方だけです。