教員になる人へ
正直に始めます。教員はブラックだとよく言われます。否定しません。実際、時間で見れば割に合わない日はあります。
でも「だから後悔してる」かというと、そうでもないんです。今日はその理由を書きます。
もやもやを言葉にできた日から、面白くなった
働き始めてしばらくは、なんとなくもやもやしていました。学校のここが嫌だな、この授業内容ってどうなんだろう、みたいな。でも、それが具体的に何なのかは、自分でもよく分かっていませんでした。
変わったのは、同僚とご飯を食べながら教育観をぶつけ合うようになってからです。
私はこう思う、いや自分はこう思う、と話しているうちに、もやもやしていたものが言葉になっていきました。言葉になると、不思議なもので急に簡単なことに思えてくるんです。輪郭がはっきりすると、対処のしようも見えてくる。実際、そこから行動を変えられたことが何度もあります。
面白いのは、話し合っても別にすり合わせなかったことです。「じゃあどっちが正しいか決めよう」にはならない。私はこう思うからこうする、あなたはそう思うならそうすればいい。方針はそれぞれ決めて、あとは困ったときに助け合う。そんな感じでした。
ぶつけ合う、というと勝ち負けを決めるように聞こえるかもしれません。でも、別にどちらが正しいかを決めなくてもいいんです。もやもやを言葉にできただけで、十分に前に進めます。この時間があったから、忙しい毎日も面白くなっていった気がします。
「僕を見てよ」に気づいてから、仕事が変わった
忙しさを上回るものがあるとしたら、これです。
教員をやっていると、いわゆる問題行動というものにたくさん出会います。最初の頃は、その都度「なんでこんなことするんだ」と思っていました。
でも心理学を学んでいくうちに、あるとき気づきました。あれ、これって本当に悪いことがしたくてやってるんじゃないな、と。多くは「僕を見てよ」のアピールなんです。
愛着理論という考え方があります。家は子どもにとっての安全基地で、外でしんどいことがあったとき、そこで甘えることで充電して、また外に出ていける。その甘えを受け止めてもらえないと、子どもは形を変えて注意を引こうとします。それが問題行動として出ることがある。教室でも、似たことが起きているんだと思います。
これに気づいてから、試したことがあります。困った行動をする生徒に、必要以上に興味を持って絡んでみる。「怒りたいわけじゃないんだ、ただどうしたのかなって気になって」くらいの温度で。
そうすると、思っていたより喜ぶんです。困った顔をされることはあっても、嫌がられることはあまりない。むしろ、その後の態度が変わることのほうが多い。
こういう瞬間があるので、続けられているんだと思います。忙しさは減りません。でも、忙しさの中にこの発見があると、割に合う感じがしてきます。
生徒の行動には、たいてい理由がある
「僕を見てよ」に限らず、生徒が何かしでかすとき、たいてい理由があります。
教員をやっていると「〜しなさい」「〜しないとダメ」をたくさん言わなければいけません。それを繰り返していると、「あの子はダメだ」で終わらせたくなる日もあります。正直、そういう会話が教員同士で出ることもあります。
でも、自分が生徒だった頃を思い出すと、裏でそう言われていたらすごく嫌な気分になるはずです。だから、たまにでいいので「〜しちゃダメでしょ」ではなく「〜しちゃったんだ。なんかあったの?」と聞いてみてほしいです。うまく言葉にできない理由が、だいたいあります。
それでも大変な日はある
ここまで書いておいて、大変な日がなくなるわけではありません。正直きつい日はあります。制度として変わってほしいところも、たくさんあります。
ただ、忙しさだけを見ると割に合わないように見えるこの仕事に、私はまだ続ける理由があります。ここに書いたような瞬間が、時々あるからです。
これから教員になる人、迷っている人に伝えたいのはこれくらいです。大変だという話は本当です。でも、それだけで終わる仕事でもありません。